「治療法のない障害」に挑む日々
前回:「ゴックン先生」の原点
耳鼻科の先生はそのような手術は初めてだし、技術はもっているが嚥下の事を良く知っているわけではない、と正直に話をしてくれました。先生は「嚥下のことは本多先生の方がよく知っているようなので、先生が言うならその手術をしてみましょう」
と言って下さり、Aさんにも改善の可能性があることを示し納得していただいて、耳鼻科で咽の通りがよくなる手術を行いました。Aさんも、私も、周囲のスタッフも大きな期待を抱きました。
しかし、手術後の検査結果では、誤嚥もあったし以前と変わらない。まったく変わっていなかったのです。
全員ががっかりし、私はまた「ダメだったのかー!!」という思いにかられました。
でも何で通過しないのだろう、何が悪いのだろう。文献ではうまくいったと書いてあるのに…。
そこで手術をしてくれた耳鼻科の先生と検討した結果、うまくいっていないと思われた部分が見つかり、十分になるまで手術をしてみましょう、と判断し、先生の協力のもと1か月後に再手術が行われました。
その結果、再手術は成功し、術後の検査結果では、食べ物がすっと食道に流れていって誤嚥もほとんどおこらず、Aさんは食べ物を食べることができるようになったのです!「やったー!」と私は叫び、Aさんも「今までとは全く違って飲めた!食べ物が入っていくのがわかる」と言ってくれました。Aさんも、周囲の者も、皆喜びに溢れました。
その後もしばらくの間、食べる状況を見るために食事場面に行くと、Aさんは口から食べられるうれしさをいつも私に話をしてくれました。そして食事にでた食物について、これは飲みやすいとかこれは飲みこみにくいなどの状況を教えてくれました。検査上良くなっても食べ物によってこんなにまで、まだ違いがあるのかと教えられる日々。
この事から食事場面をみて実際に食べられた人の感覚を教えてもらうことの大切さを教えられました。その頃から「食事場面をみること、本人の飲み込みの状態を実際に聴くこと、実際に自分で食べさせてみる、飲み込むことをしっかりと観察すること」は、この領域での私の仕事の一番重要な位置づけとなりました。患者さんから教えてもらうという姿勢です。
その後Aさんは鼻からのチューブを抜くことができ、普通の人と同じ食べ物を 1日3回、口から食べることができるようになって無事に退院しました。試行錯誤した入院経過であったので、退院まで実に約1年かかっていました。
それから私は大学病院にいると、いろいろな科に嚥下障害の患者さんがたくさんいることに気付きました。その患者さんをリハビリ科に移して、「嚥下障害に対するリハビリ」を実践していきました。すると、口から食べられるようになってチューブが抜ける患者さんが多くいることがわかり、その現実をそれまで内容を知らなかった教授と周囲の先生に実際に見せることで、この領域の大切さを理解してもらうことができるようになりました。
次回:新領域の発見
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